Monthly Archives: October 2017

ちょっと一休み

新宿大通り、紀伊国屋書店の斜め向かいに、長椅子がセットされたテラスが出現しました。 車道のパーキングスペースに張り出す形で、木製の床と壁でベンチスペースを作ってあります。 東京の繁華街は、何処も街全体がコンクリート造りになってしまっていますので、木製のスペースって、工事現場の臨時休憩所みたいな、若干の違和感も伴います。でも、すべてのものが忙しく動き回っている喧騒の中では、「静謐」ともいえる静かな空気が漂っていて心が和みます。 建造中のオリンピックスタジアムだって木材を豊富に使うデザインですし、新宿駅の東南口広場に新設された観光案内所も外壁は樹をモチーフにしたデザインです。 急増中の外国人旅行者に、日本の豊かな森林資源をアピールするには、こんな新宿大通りの「樹のベンチス」はナイスアイディアかもしれませんね。 街歩きって、結構疲れますが、ちょっと座って一休みできる場所って、なかなか見つからないものです。このテラスのベンチで一息いれながら、新宿の街と行き交う人々をウオッチするのも、心を潤してくれるビタミン剤かもしれませんね。

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「花園神社」 その3 二宮尊徳編

新宿総鎮守「花園神社」の境内摂社【芸能浅間神社】の敷地内に『二宮金次郎』の石像が立っています。 戦前から戦後にかけての長い時期、日本中の小学校の校庭に置かれていた『二宮金次郎像』! 年配の方々には懐かしい姿ですね。               二宮金次郎は、江戸時代・天明7年(1787)に、現在の小田原市栢山で生まれました。生家は裕福な農家でした。 ところが、金次郎が5歳の時、南関東を襲った台風のために地元を流れる「酒匂川」の堤防が決壊し、濁流に田畑と屋敷を失ってしまいました。それ以降、一家は貧しい暮らしを余儀なくされました。 そんな中、12歳の金次郎は、眼病を患った父に代わって、酒匂川の堤防工事に駆り出されましたが、子供だったので十分な働きができず、負い目を感じて過ごしました。 彼はそんな働きの悪さを穴埋めするため、夜遅くまで草鞋を編んで、工事に携わる人達に配りました。 その当時、金次郎は朝早く起きて山に薪を拾いに行き、夜は草鞋を作るというキツイ暮らしを続けましたが、毎日の厳しい暮らしの中でも勉学の志を高く持ち続けました。薪拾いの山からの帰り道に、歩きながら本を読んで勉強した姿が、全国の校庭に置かれた像です。 成人となった金次郎は、苦労して学んだ知識を生かして、小田原藩領内の土木事業、農地開墾、農業振興など様々な分野で手腕を発揮し、藩で重く用いられる指導的な地位を得ました。 その後、小田原藩・大久保家の分家である宇津木家が、旗本所領として治めていた、現在の栃木県に当たる下野国芳賀郡の荒廃地を立て直せ!という藩命を受けてその地に赴きました。依頼された地域を立派な収穫地に立て直し、名声を高くしました。 その業績を聞きつけた周辺の領主からも、様々な立て直し事業の依頼を受けましたが、金次郎はそれらの依頼のほとんどを見事に成し遂げた、北関東の広い地域で人々の尊敬を得ました。 下野国で多くの業績を成し遂げた後、金次郎は小田原に帰りましたが、天保13年(1842)徳川幕府に召し抱えられ、再び下野国など北関東地域の天領(幕府領)の運営に当たりました。 幕末の安政3年(1856)に、病を得て下野国の今市村「報徳役所」で没しました。没後「尊徳」の号が贈られ、今では『二宮尊徳』と呼ばれるのが一般的です。 大政奉還後、明治政府から「従四位」が追贈され、時代が変わっても人々から慕われてことがわかります。下野国での活躍が大きかったので、二宮尊徳は栃木県の人、と思う人も多いのですが、出身地は小田原です。 小田原城の裾地には威容を誇る一方、親しみを覚える『報徳二宮神社』が在ります。境内を散策するだけでも心が潤う佇まいなので、機会がありましたら、新宿の「花園神社:二宮金次郎像」を思い浮かべながら、参拝して如何でしょうか。                             追加話しですが、「花園神社の二宮金次郎像」は、以前、神社の北側に接して在った「四谷第五小学校」の花壇の中に置かれていたものです。小学校が生徒の減少で別の地に移転して、もうひとつの小学校と合併する際に「花園神社」に移転され今日に至っています。  

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かぼちゃの季節

今年もハロウイーンが近づきました。秋のビッグイベントとして日本でこのイベントが定着したのは10年くらい前からでしょうか? 今は、コスプレのバリエーションのひとつ、みたいなポジションでみんながホラーを楽しんでいるようですね。 ハロウイーンの起源は、古代ケルト人の風習だとのことです。ケルト人の歴史は、紀元前1500年くらい前に遡るので、3500年くらい前のはなしになってしまいます。 ケルト人のカレンダーは10月31日が大晦日で、この日に秋の収穫に感謝し悪霊を追い払うお祭りとしての行事が、ハロウイーンだそうです。この日には、祖先もあの世から家族に会うために蘇ってくると言い伝えられています。 その際に、ご先祖様が、あの世からこの世に通じる暗い道を照らすのに、かぼちゃを刳り抜いた提灯をかざして来たそうです。               そのカボチャ提灯を「Jack⁻O‘⁻Lantern」=「提灯ジャック」と呼んだそうです。 そんな、お盆と収穫祭と紅白歌合戦が一緒になったようなお祭りが、ヨーロッパからアメリカに伝わり、ついには極東の日本にまで到達したということでしょうか!!? 最近の東京では、渋谷のスクランブル交差点がハロウイーンのメッカみたいになってしまい、あたかもブラックホールのように“血みどろモンスター”を集めてしまいます。 でも、そのコスチュームの調達先はダンゼン新宿です。10月になると、あっちのお店にもこっちの売り場にも、アイデアを凝らしたコスチュームやメイク用品が並びます。               果物屋さんの店頭にも花屋さんのディスプレー台にも生カボチャが揃い、いろいろなショップでも、提灯ジャックが顔を揃えます。               新宿の街をブラブラ歩きながら、ハロウイーンコスを物色!「かぼちゃの季節」を楽しんでみませんか!

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雑司ヶ谷霊園巡り

都電・雑司ヶ谷駅下車近くです。都電早稲田起点から4番目駅になります。 広さは、約10ヘクタールで学生のころ通った谷中霊園とほぼ同じ(東京ドーム2倍位でしょうか) 東京都豊島区にある都立霊園で池袋方面にも徒歩15分ほどになり、著名人のお墓参りで往時に想いを偲び 散策しては如何でしょうか! 秋晴れの日に最適な場所になりませんか?   今回思い付いたまま、気の向くままお墓を見て回りました。新宿漱石記念館が9月24日オープンしたこともあり、お墓参りになりました。               写真の夏目漱石の 金之助(本名)の墓参りを思い付いて、出かけて来ました。かなり立派な墓石になっています。 その近場にある「竹久 夢二 1884~1934」「東郷 青児 1897~1978」「ジョン万次郎 (中濱 萬次郎)1827~1898」「永井 荷風  1879~1959」墓石にも合掌しました! 各位の鬼籍から存命中に想いを馳せ、調べて下さい。 都電に乗ってローカルな東京下町を見学して巡ることで、楽しみ方見方も変わります。都電が民家の間を通り抜ける光景です。新宿区早稲田~荒川区三ノ輪までの区間12.5㎞・駅名30か所。生活感を見たり感じたり出来る風景があります。都電の取材は、時間があったとき報告したいと思います。                                

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花園神社 その2

              花園神社の境内には、小規模な系列祭祠として、ふたつの摂社があります。 ひとつは、正面大鳥居から本殿に向かう正面参道の中ほどの北側に鎮座する「威徳稲荷神社」。 祠は決して大きくはありませんが、正面参道からこの末社に続く脇参道を覆う鳥居のトンネルが、神秘的な結界を作っているような雰囲気を醸し出しています。 神社の記録でもその歴史がはっきりしないようですが、古老氏子の記憶では、昭和4年に招請されてこの場所に置かれたようだとのことです。 神社というパワースポットの中の、も一段と深いパワー発信場所的なディープな雰囲気です。思わず一礼したくなる不思議な境内摂社です。                 もう一つの境内摂社は「芸能浅間神社」です。こちらは正面の大鳥居をくぐってすぐに右(北側)に進むと、境内の北東の角に鎮座しています。ステンレス製の垣根で仕切られていて、目を引きます。 祀られているのは、「木之花佐久夜毘売命」(コノハナサクヤヒメノミコト)です。日本神話の中で一番美しい女神として、富士山と一体化され、歌舞音曲の祀神としても信仰されています。       かつて、大衆娯楽演劇や、歌謡公演で日本一の知名度を誇った「コマ劇場」と歌舞伎町を本殿の背後に背負った「花園神社」は、芸能関係者の信仰も厚く、有名無名を問わず、多くの芸能人が参拝しています。 境内摂社・「芸能浅間神社」の、ステンレス製垣根板には、奉納した人の名前が朱書きされていますが、等「八代亜紀」「ビリーバンバン」「中川祥子」「湯原昌幸」「桂文治」「唐十郎」 等々おなじみのタレントさんの名前が並んでいます。順に見ていくと「吉本興業」「新宿末廣亭」「落語芸術協会」「声優・ナレータートレーニングスタジオ」など、芸能関係の団体からの奉納も少なくありません。           「芸能浅間神社」の小さな境内には、八代亜紀が寄贈した【社号標】や、“新宿”を唄って人気が爆発した、宇多田ヒカルの母【藤圭子】の歌碑もあります。                 つつましやかな、この境内摂社ですが、芸能関係の参拝者が連日お参りに来るようで、この日もそれっぽいオシャレな雰囲気の女性が祠に深々とお辞儀をし、手を合わせていました。 この摂社境内には扇型の絵馬掛けが設置されています。幾重にもびっしりと掛けけられた絵馬をチラ見したら、すべてがタレントのタマゴさん達の願いが込められたものでした。この中から、明日のスターが生まれると嬉しいですね。        

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中秋の名月

10月4日は「中秋の名月」 カラッと空気が乾燥する秋は、大気中の水蒸気に邪魔されないので、夜空の月も星もクリアに見えます。暑つからず寒からずの気温も、夜空を見るには最適なので、昔から秋の満月を楽しむ習慣が根付いたようです。 さらに、今は実りの季節、おいしい食べ物が豊富に出回るので、お団子のみならず、ススキを飾って、自然の恵みに舌鼓を打ち、盃になみなみとお酒をついで真ん丸月を浮かべてクイッと飲み干して楽しみたいですね。 たまたま、西新宿で集まりがあって帰りは副都心のビル群を抜けてきました。夜遅いこのエリアは人影がまばらで、ひっそりした空気が漂っています。 チラホラと窓明かりが残っている高層ビルのはるか上空浮かぶ満月は、宇宙と人の営みを同時に見るようで、清々しく思えます。 新宿の副都心ビル群の中で、一番高い建物は東京都庁舎です。今夜は、その都庁舎の最上部が紫にライトアップされて、満月と絶妙に調和しています。               今夜は、適当に薄い雲が広がっていて、雲間からお月様が顔を見せたり隠れたりの繰り返しで、空を見上げていても飽きません。通りかかりの人も、スマホを天空に向けてベストシーンをパシャッ!! スマホ歩きならぬ、月見歩きで、のんびりウオークになったり!!中秋の名月って、けっこう人を詩人にしてしまいます。 私もカメラを夜空に向けましたが、地上の建物と天空の満月を一緒に画面に入れようと思うと、お月様が小さく発光する点になってしまって、肉眼で見るシーンとはずいぶん違う様子になってしまいます。 こんな場合、普通は、超望遠レンズで撮った月の写真と風景を合成して真ん丸お月様がぽっかり浮かぶ夜景を作るのですが、今回はレンズを通して見た月夜と、安物カメラの望遠レンズを目いっぱい延ばした満月のボヤケ写真をご覧ください。               ちなみに、家に帰ってニュースを見ていたら、今夜・10月4日は、一応、中秋の名月ですが、満月は明後日の10月6日、とのことでした・・・・・(‘’_’’)  

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花園神社 その1

              百貨店業界をけん引する「ISETAN 本店」の北、靖国通りに接して「花園神社」があります。11月の酉の市、境内のテント小屋演劇などで有名です。 全国に8万ほどある神社ですが、私は、「花園」の名を冠した神社は、ここ以外に聞いたことがありません・・・ 「花園」の由来は江戸時代に遡ります。 「花園神社」の前身は、1590年に徳川家康が武蔵野国に入る前から、土着の「稲荷神社」として、現在の「ISETAN」のあたりに鎮座していました。 ところが、江戸時代・寛永年間に、徳川家の旗本・朝倉筑後守が、その地域を幕府から拝領して下屋敷を建ててしまい、神社が包み込まれるような配置になってしまいました。 そこで、幕府に移転を願い出て、土地を拝領することになりました。その移転先が近くにあった、尾張藩の下屋敷の一部だった現在の場所です。 その場所は、屋敷の庭園の一部で、四季折々に花々が咲いていたので、神社名に「花園」を冠することになったそうです。           とはいえ、歴史の流れの中で神社の名前は時々の事情で様々に変遷を繰り返しました。正式に「花園神社」と社名が決まったのは、ナント!維新後の大正5年2月26日でした。 そんな「花園神社」、今では新宿総鎮守として人々に親しまれています。巨大な繁華街の中にあって、オアシスとして、住人と来街者に憩いの場を提供しています。 私も毎日の生活や仕事の中で、心が乾くと此処に来ます。都会の喧騒の中にあるのに、不思議な静謐感が漂い癒されます。 太陽が昇る東に向いて堂々と建つ「本殿」、その横に在る「神楽殿」、その向かいにそびえる「宝物殿」などなど建物は手入れが行き届いて、塗られた朱色と生い茂る木々の緑とが鮮やかなコントラストを見せてくれます。 新宿が夜の顔に化粧を変える日暮れ時の「花園神社」は、安らぎと活力の両方が感じられて、散策にはもってこいの時間帯です。ご一緒に、境内を巡ってみませんか。              

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