Daily Archives: 2018年3月11日

7年・風化させないために

あの忌まわしい「東日本大震災」。1000年に一度ともいえる巨大地震と津波から7年目の3月11日を迎えます。 被災地の方々の中には、家族を失い、仲の良かった友と別れ、生まれ育った故郷を離れざるを得なかったケースなどは、数え上げることができないくらい多いと思われます。 地震と津波だけなら何とか復旧活動にもめどがつけられるのでしょうが、原発の放射能汚染となると目に見えない相手なので、復興も侭(まま)ならないだろうと心が痛みます。 7年という歳月は、それぞれの環境の違いで「もう!」と思う人も「まだ!」と感じる人もあるでしょう。その7年の間に、九州でも同程度の地震災害が発生したので、マスコミも人々の耳目の半分以上はそちらに向いてしまったかもしれません。さらに、日本を含めて世界は目まぐるしく変化し、日々センセーショナルな報道が飛び込んできます。東北の、被災された皆さんが、世間で東日本大震災の被災記憶が風化してゆくことを心配するのはよく判ります。 実は、私・ジクサーも東日本大震災の発生のあとの6月に、人々が避難して無人化した地域の警備ボランティアで現地に行きました。仕事の合間を縫っての参加だったので、長期間在留することはできませんでしたが、現地では海外からわざわざ救援に来てくれた人たちを見かけ、全国の都道府県から支援に駆けつけた警察官の活動も目の当りにしました。もちろん自衛隊の方々は、一番厳しい場所で汗みどろの救援活動をしていました。私は、それらすべての人たちに心から頭を下げて【ご苦労様です。ありがとございます。】と言いたい思いでいっぱいでした。 現地では、官民の区別なく、この惨状を何とかしなくてはならないという連帯感が生まれ、お互いに言葉を交わすことがなくても、目があえば心が通じ合っていました。 とはいえ、これまでに見たことも経験したこともない地震と津波の現場では、建物の残土から立ち上る建設資材の臭い、流出した油の異臭、海のヘドロの悪臭、生き物の腐敗臭、などなど様々なにおいが入り混って、テレビの画面だけでは絶対にわからない異様な空気間の漂う現場の場所でした。 遠くに見えるくすんだ茶色の丘は、近寄ってみると積み重ねられた瓦礫でした。田は津波に運ばれたヘドロで埋まり、その中には人々の日常生活の品々が埋っていました。北上川を遡った津波は、住宅地の土手に漁船を運んで置き去りにしたままでした。 とにかく、行くところすべては、人々の平和な生活が無残に打ち砕かれた現場で、カメラのシャッターを押すことも躊躇われましたが、後世に参考として生の記録を残さなくては、と心に鞭を当てて写真を撮りました。                                                                         あれから7年。悲惨な災害の記憶を風化せることなく一人でも多くの人に、復興に寄り添い、今後の防災意識を強く持っていただきたい一念で、被災直後の石巻市の写真をアップします。 合掌

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