鈴木三重吉

Posted by on 2018年5月28日

「赤い鳥」という児童文学誌をご存知ですか?発刊者は、夏目漱石門下の鈴木三重吉という人です。

鈴木三重吉は、1882年(明治15年)に広島市で生まれました。地元の小中学校を経て、1901年(明治34年)に上京し、東京帝国大学・文学部に入学しました。

英文学科の鈴木は、夏目漱石の講座を受講したことから、1906年(明治39年)に、漱石の門下に入り、文学活動に入りました。

その後、体調を崩して大学を一時休学しましたが、再度上京、復学して1908年(明治41年)に卒業しました。

その後、千葉県の中学校、新宿区大久保の「海城中学校」・「中央大学」などで教鞭をとる傍ら文学活動を続けました。

その後、1915年(大正4年)に、小説家としての活動を停止しましたが、翌年、自身の長女“すず”の誕生に際して、童話集「湖水の女」を創作したことを契機に、児童文学のジャンルに転進しました。そして、1919年(大正7年)に児童文学誌「赤い鳥」を創刊し、教職を全て辞し「赤い鳥」の活動に邁進しました。

「赤い鳥」には、泉鏡花・芥川龍之介・有島武郎・高浜虚子・北原白秋・小山内薫・久保田万太郎・西條八十など、文壇で活躍中の人たちが多くの作品を提供しました。

それまでの児童文学は、お説教色が強い〈教訓もの〉が主流でしたが、「赤い鳥」には、子供たちの感性を高める芸術の薫り高い作品が掲載され、新しい児童文学の流れを創り出しました。

児童文学誌「赤い鳥」は、坪田譲治・新見南吉など、次世代の優れた児童文学者の育成の場ともなり、多くの日本の子供たちに優れた文学に接する楽しみを与え続けました。

三重吉は、1929年(昭和4年)から、亡くなる1936年(昭和11年)まで、現在の『新宿区 歌舞伎町』に居を構え、18年間に亘って196冊の「赤い鳥」を発行し続けました。

 

 

 

 

 

 

 

そんな、鈴木三重吉の終焉の地は、今ではソシアルビルに生まれ変わっていて、ビルオーナーも最近そのことを知ったそうです。

歌舞伎町の区役所通りを奥に進み、最初の交差点を過ぎて2番目の黒御影石壁のお洒落な「チェックメイトビル」新宿区 歌舞伎町 2-23-12 が、その地です。

さすがに、今となっては当時を偲ぶ風情は残っていませんが、去年の9月に新宿区がこのビルの壁面に銘盤を設置しました。

大人の遊園地みたいな現在の歌舞伎町ですが、かつては文人も多く住んでいて、文化の発信地でもあったことをご披露したいと思います。

 

 

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